ジャンシス・ロビンソンMWのWebサイトでご紹介いただきました

🌿英国のジャンシス・ロビンソンMWによるコメントとともに、“Purple Pages“でヌツィキさんの記事を紹介してくださっています。
世界中で変化が求められる今、様々な経験を経たヌツィキさんが語っている
「その時、ワイン業界は家族のようなものだと気づきました。ワイン産業自体には様々な問題がありますが、同様に多くのサポートと励ましもあるのです。」
のコメントに、これからのワイン業界の明るい未来を感じることができます‼︎
弊社野間真美ソムリエがジャンシスMWに送った手紙も合わせて掲載されています🌿

■Ntsiki Biyela – taking charge

https://www.jancisrobinson.com/articles/ntsiki-biyela-taking-charge?fbclid=IwAR1mAiquERFcdhuqjds3TkVgZZk1MjOJpAPUDBRueT8UFZZ5qNeA88M0YEQ

以下和訳です。

ヌツィキ・ビエラ ~Taking Charge 私の役割~

ASLINAのワイン醸造家でディレクターを務めるヌツィキ・ビエラは黒人の女性醸造家の先駆者です。彼女がとても元気づけてくれる話をしてくれました。彼女のストーリーの最後に、経歴とASLINAの日本インポーターからのコメントも紹介しています。

世界のワイン産業における有色人種の人々の境遇について多くの議論があります。もちろん、状況は様々ですが他の多くの国同様、ここ南アフリカでも偏見へとつながる長い歴史があることを誰もが知っています。特に、伝統的にワイン醸造者とブドウ畑オーナーが白人男性によって占められてきたワイン産業ではなおさらです。

南アフリカで最初の黒人女性のワイン醸造家として、私の経験は挑戦的で、多くは打ちのめされるようなものでした。しかしながら、その経験はまだ私の成功への決意を駆り立ててくれました。1999年にステレンボッシュ大学への奨学金を獲得し、通学の為にクワズールナタール州の自宅から引っ越しました。学生仲間は、私がアフリカーンス語(当時大学での公用語)を話せないのにどうして大学に来るのか、と尋ねました。その通りでした。私はアフリカーンス語を理解することも話すこともできませんでしたが、それが学習の障害になるとは考えていませんでした。また質問自体だけではなく、尋ね方も威圧的でした。私はそこにいるべきではないということが、言葉でなく私への態度で明らかでした。

デルハイムワイナリーでアルバイトをしていた学生時代、私は誘われて参加したセミナーで初めて業界そのものを垣間見ました。会場に到着してみると、参加者は全員白人男性でした ― 1人女の人がいた以外は。でも、唯一部屋にいた女性は、出席確認を行うと出て行ってしまいました。その時、私は黒人がいない、女性がほとんどいないワイン業界にいるのだと気付いたのです。

私は、初めての仕事で若いワイン醸造家として何をできるのかと怖くなり、最悪の事態を予想しました。でも驚いたことに、人々はとても親切であることがわかりました。私は電話を手に取り、知らないワイン醸造家に電話をかけ、助けやアドバイスを求めることができました。彼らは喜んで手を差し伸べてくれました。その時、ワイン業界は家族のようなものだと気づきました。ワイン産業自体には様々な問題がありますが、同様に多くのサポートと励ましもあるのです。協力と結びつきは、障壁を打破するための鍵であり、求めればサポートと励ましを見つけることができるのです。

それでもまだ、私に会ってショックや失望を隠せない人はいました。ワイン醸造家に会いたいというお客様がセラーにやって来て私が現れた時、セラーの管理人ではなくワイン醸造家に会いたいのだ、と言われました。それは私をいらいらさせましたけれど、責めることはできませんでした。彼らのワイン醸造家のイメージは、目の前にいる私と明らかに違っていましたから。今になっても、「わあ、すごい、どうしてそんなにワインをよく知っているの?」と、想像できなかったというコメントをもらうこともあります。

私のストーリーを共有することで、同じような道を進む他の人にインスピレーションを持ってもらうことを願っています。私はピノタージュ若者育成アカデミー(PYDA)の理事を務めていますが、そこでは、18歳から25歳の未就労者をワインと観光業界でキャリアとなるよう育てています。若者達は、世界に通用し困難な状況にも対処できるよう、技術的なスキルだけでなく生き方も学びます。私が人生を通して学んだ自己認識、自信、自給自足の3点を意識することで、敵意のある環境に直面した時に必要なレジリエンスを構築できるようになりました。最初の卒業生の一人、ルース・ファロさんは、南アフリカワイン界の「30歳未満の有能なリーダー30人」に選ばれました。現在、300人近くのアカデミー卒業生が就職しています。十分に啓蒙され大志を抱く若者達が変化をもたらしており、未来はとても明るいです。私と彼らとの関係はお互いに良いエネルギー源となっています ― 彼らは私の若い頃を見るようで、一生懸命働いて多くのことを学び、お互いに希望とインスピレーションを与え合っています。

キャリアを通して、私は前向きで私を成長させてくれる人と意識して触れ合うようにしました。その一方で、上手に否定的な言葉を無視することができるようになりました。本物の変化はゆっくりと起こります。機会が平等になり、黒人が南アフリカのワイン産業で白人と同じ光の中で輝けるようになるにはまだ何年もかかるでしょう。私は会議やセミナーに参加していますが、変わってきているとはいえまだ女性は少数です。そして、これもまた変化の途中ですが、有色人種の人数も少なすぎます。しかし、やるべきことはたくさんあります。一人ひとりが、業界を超え、言葉だけでなく行動を通じて、幅広く全体のことを含めて達成できるようにもっとよく考える必要が多いにあります。

しかし、私は将来について楽観的なのです。毎日、自分自身に「より良い変化を起こすために何をするつもり?」と問いかけています。それはチャレンジであり、私のキャリアとワインを通じて期待に応えていきたいと思っています。


~ヌツィキ・ビエラ経歴~  
ヌツィキ・ビエラは、彼女の故祖母ASLINAにちなんで名付けられた会社ASLINA Winesのワイン醸造家兼ディレクターです。

 彼女はクワズールナタール州の農村マハラバティーニで育ち、1996年に高校に入学しました。家事労働者として1年過ごした後、南アフリカ航空の奨学金によってステレンボッシュ大学でワイン醸造を学び機会を得ました。2003年に農業理学士(ブドウ栽培と醸造学)を取得して卒業し、2004年にブティックワイナリーのステレカヤに就職しました。

 ヌツィキは先駆的な女性で多くの称賛を得ています。2009年、彼女は「Woman Winemaker of the Year」を受賞しました。2年連続で、「ビジネスと政府において最も影響力のある女性」に選ばれています。2017年フォーチュン誌の「Food and Drinks最も革新的な女性トップ20」、アメリカの Food&Wine 誌「注目されるワイン業界女性のトップ15」にも選ばれました。

 彼女のワインは、2016年と2017年ヴィンテージがミケランジェロ ワインアンドスピリッツアワードの金メダル、2年間連続して日本のサクラアワードの金賞など、数多く受賞しています。ASLINAは賞を獲得しただけでなく、ブランドの象徴として世界中の人々の心をつかんでいます。ヌツィキは、世界中の女性、特にワイン業界で働き始めた有色人種の人々へのインスピレーションとなっています。


~ジャンシス・ロビンソン追記~
ヌツィキはSAワイン業界の現在の厳しい状態に関する昨日のウェビナーに参加したそうです。登録してここで確認できます。
この南アフリカの人物紹介シリーズを始めた時、ASLINAの日本インポーターである
野間真美さんより次のメッセージを受け取りました。

 私はジャンシスさんのブログを読んで感動しました。我々はヌツィキさんのワインASLINAを昨年の春から輸入を始めたところです。2年前に、日本の地元の新聞でヌツィキさんの記事を見つけました。彼女の人生に惹きつけられ、ASLINAを飲んでみたいと思いましたが日本ではまだ売っていなかったのでサンプルを送ってもらうよう頼んでみました。 
 取り寄せたワインは、彼女の人生そのものであるかのような美しいワインでした。私たちの会社は、その時ワイン事業を始めようとしていることころでした、私が20年来ずっとワインが大好きでWSETで資格取得もしたところだったのです。そうして、昨年ASLINAを輸入することを決めました。

私たちは、昨年ヌツィキの2回の来日に合わせいくつかのプロモーションを行いました。当時日本にはまだ”Black Lives Matter”という考えはありませんでしたが、「南アフリカ初の黒人女性ワインメーカー」イベントは人々の注目を集めました。ヌツィキの生き方と笑顔は、人々を幸せにし、力を与えてくれました :)。
このような今、ワインビジネスで黒人の雇用機会について考える本当に良い時期だと思います。このトピックに言及している記事はほとんどありません。楽しい内容ではないです。この問題が近い将来にはなくなり、すべてのワインが公平に評価される日が来ることを願っています。

この手紙を書く機会を下さりありがとうございます。あなたのメッセージは、私でも世界を変えるために小さな歩みだけれども行動を起こすことができる、という勇気を与えてくれました。